エリック・クラプトンと息子コナー ——「Tears in Heaven」に込められた魂の叫び
運命が変わった、あの日の前日
1991年3月19日の夜。
あのエリック・クラプトンは、
4歳半の息子コナー君を連れて、ニューヨークの巨大サーカスに行きました。
3つのリングで同時に演技が行われる、アメリカならではの壮大なサーカス。
象もピエロも虎も、すべてが同時に動く魔法のような空間 でした。
帰りの車の中で、コナー君は興奮を抑えきれず、
ピエロの話ばかりをしていました。
小さな声で「パパ、見た? ピエロが…」「象が…」
と何度も何度も繰り返す息子の姿。
エリックは、その声を聞きながら、幸せを噛み締めていました。
その夜、コナー君は眠ったふりをしていましたが、
母が寝室に行くと飛び起きてベッドに飛び込んできました。
父ーエリック・クラプトンと過ごした一日が
あまりにも楽しくて、眠れなかったのです。
なぜなら、父は世界中を回ってコンサート・ツアーをしている大スター
それだけではなく、、、、、
コナー君は不倫の相手との間に生まれた子供、、、、
エリックは父親らしいことをしてこなかったからです。
そして、クラプトンは息子の母親ローリー・デル・サント(女優)に、
ある決意を伝えました。
「これからは、本当の父親になる。
コナーを預かるときは、誰の助けも借りない。
自分で料理をして、お風呂に入れて、すべて自分でやる」
「ロンドンに連れて帰って、しっかり面倒を見たい」
ローリーは驚きました!
これまでのエリックは、赤ちゃんの散らかす部屋に耐えられず、
泣き声にも敏感で、
コナー君と遊ぶこともほとんどなかったからです。
彼は息子をただ見つめるだけで、、、、、、、
まるで別世界の存在のように息子のことを感じているようにしか見えなかったから、、、。
それが、、、、、
でも、その日は違いました。
クラプトンは、ようやく「父親であること」の意味と喜びを理解したのです。
ローリーは後に語っています。
「エリックがようやく父親とは何かを発見したその瞬間、
運命がそれを打ち砕いたのです」
翌朝——赤いパジャマを着た小さな天使
1991年3月20日、朝。
コナー君は、前の日に父(エリック・クラプトン)と見た象のことを興奮して話していました
この日は、父と動物園に行き、
その後イタリアン・レストランでランチをする予定でした。
コナー君は「パパ」にまた会えることに、はしゃぎまわっていました。
クラプトンは近くのホテルで、息子を迎えに行く準備をしていました。
その時、マンションでは清掃作業員が窓の掃除をしていました。
それは窓というより、ガラスの壁のようなもので、本来は開けてはいけない構造でした。
鍵も壊れていたのに、清掃員は新鮮な空気を入れるために、それを開けてしまったのです。
母親ローリーは別の部屋にいました。
ベビーシッターは、清掃員から
「窓が開いている」という警告を受けていましたが——
小さなコナー君は、
いつも寄りかかっていたガラスの壁に向かって走り出しました。
地面から30センチほどの木製の縁があり、
コナー君はガラスがまだそこにあると思って飛び乗ったのです。
バランスを崩して、、、、本来ならあるべきガラスの壁が、、、、
赤いパジャマと赤いスリッパを履いたまま。
53階から・・・・・・
電話の向こうの叫び
エリックはホテルの部屋で、外出する準備をしていました。
電話が鳴りました。
「ローリーが電話の向こうで叫んでいました。
『コナーが死んでしまった』と。
私は信じることができませんでした」
信じられない。そんなはずがない。
急いでマンションに向かうと、そこには救急車と消防車、救急隊員の車が並んでいました
人生が一瞬で崩れ落ちた瞬間でした。
「まるで誰か他の人の人生に入り込んでしまったような感覚だった」
とクラプトンは後に語っています。
何かドラマの中の一シーンのような・・・
見ることができなかった小さな体
エリックは霊安室に行き、息子の最後の姿を見ました。
でも、母親のローリーは行けませんでした。
行けるはずがありませんでした。
そして、事故の後、ローリーは知らされます。
自分が妊娠3ヶ月だったことを。新しいパートナーとの子供でした。
悲しみの中での新しい命——それは希望でもあり、また新たな苦しみでもありました。
最後の手紙——「アイ・ラブ・ユー」
さらに胸を引き裂くような出来事が待っていました。
コナー君は亡くなる数日前、生まれて初めて父親に手紙を書いていました。
「パパに何を書こうか?」と母親に聞くと、
「『愛してる』って書いたら?」
と答えました
コナー君は一生懸命、たどたどしい文字で書きました。
「I love you」
その手紙は、コナー君の死後、ロンドンのクラプトンの家に届きました。
葬儀の直後、クラプトンが郵便物を開けた時、そこにコナー君の手紙が届いていました。
ローリーはその手紙をコナー君が書いている瞬間を見ていました。
「あの瞬間を、私は忘れることができません」
息子の手書きの「愛してる」(「I love you」)という言葉。
もう二度と、「愛してる」と言葉をかけ合うことはできない。
孤独な島で——スペインギターと涙
葬儀はサリー州リプリーの聖マリア・マグダレン教会で執り行われました。
フィル・コリンズ、ジョージ・ハリスン、そしてかつての妻パティ・ボイドも参列しました。
「小さな木の箱を見ているのは、まるで現実ではないようでした」
とローリーは語っています。
葬儀の夜、ローリーとクラプトンは、かつて3人で幸せに暮らした家で
一晩中祈り続けました。
そして、クラプトンは決断します。
アンティグア島(スペイン)に小さなコテージを借りて、
ほぼ1年間、一人きりで過ごすことにしたのです 。
「小さなスペインのギターを手に、外の世界とほとんど連絡を取らず、一日中ギターを弾いていました。そうやって、自分自身を癒そうとしたのです」
「できることは、ただ演奏して、曲を書くことだけでした。
何度も何度も書き直し、何度も何度も演奏しました。」
この孤独な時間の中で、二つの歌が生まれました。
一つは「Circus Left Town」——サーカスを見た最後の夜の記憶。
「あの夜を称え、そして息子が私の人生のサーカスだったことを表現しました。
私の人生のその特別な部分が、もう去ってしまったのです」
そしてもう一つが、「Tears in Heaven」でした。
「天国で、君は僕の名前を覚えているだろうか?」
作詞家ウィル・ジェニングスとの共作で生まれたこの曲。
ジェニングスは後に
「これほど個人的で悲しい曲を書いたのは、私の経験の中で唯一のことです」
と語っています。
クラプトンは最初の一節を書き、ジェニングスに残りを書いてほしいと頼みました。
しかしジェニングスは、あまりにも個人的な内容なので、
クラプトン自身が全部書くべきだと促しましたが、
最終的には協力することにしました。
この曲の核心は、一つの問いかけです。
「天国で再び会えるのだろうか?」
「私には本当に分からないのです。
高次の力を信じてはいますが、本当に再会できるのかは分かりません。
この歌はその質問を投げかけています。
そしてこれは誰も傷つけない。
助けを求めているのです。
だからこの曲は人々の心に響くのだと思います」
1992年1月(事件から10か月後)、
エリック・クラプトンは「MTV Unplugged」でこの曲を演奏しました。
アコースティックギターを抱え、目を閉じて歌うクラプトン。
声は震え、時に途切れそうになります。
でも、彼は歌い続けました。
息子・コナー君への愛を、音楽という形で永遠に残すために。
コナー君の存在を永遠に残すために。
世界中から届いた15万通の手紙
「Tears in Heaven」がリリースされた後、クラプトンの元には約1年間、毎日150通もの手紙が届きました
自分の子供を亡くした親たち。最愛の人を失った人々。
誰にも言えない悲しみを抱えた人々。
この曲は、個人的な悲しみの歌から、
世界中の悲しみを抱える人々の魂を癒す歌
へと変わっていったのです。
この曲はエリック・クラプトンのベストセラーシングルとなり、280万枚以上売れました
グラミー賞では、最優秀男性ポップボーカルパフォーマンス賞、
年間最優秀楽曲賞、
間最優秀レコード賞の3部門を受賞しました
でも、成功は同時に苦しみでもありました。
毎晩、ステージで息子の死について歌うということは、
毎晩同じ傷を開き直すことを意味しました。
観客の拍手も複雑な気持ちで受け止めることもありました。
母の選択——「この曲を聴くことはできない」
一方、母親のローリーは、別の道を選びました。
「エリックは曲を書くことで悲しみに対処しました。
でも私は、この曲を一度も聴いたことがありません。
今後も聴きたくありません。
一度、アムステルダムでラジオで流れ始めた時、最初の数小節を聞いて、
走って逃げました」
「家にコナーの写真を飾ることさえできません。痛すぎるから。何年も前に、すべての写真を鍵のかかる場所にしまい込みました。今ではどこにあるかも分かりません」
「コナーの服も、おもちゃも、何も残していません。写真を見ることはできないけれど、息子の顔は私の頭の中にはっきりと見えています」
そして、さらなる悲劇が彼女を襲います。コナーの死から2年後、ローリーは3ヶ月早産で男の子を産みましたが、その子も生後2週間で感染症でこの世を去ったのです。
クラプトンとローリー。二人とも同じ息子を失いましたが、悲しみとの向き合い方は全く違いました。
この物語が私たちに教えてくれること
1. 別れの前触れは、いつも美しい瞬間にある
エリック・クラプトンとコナー君の最後の夜は、
サーカスという魔法のような時間でした。
二人は笑い、驚き、幸せを共有しました。
私たちは、大切な人との時間が、いつが「最後」になるか分かりません。
だからこそ、今この瞬間の愛する人との時間を、
かけがえのないものとして大切にする-----
当たり前のことですが、、、、
わかっていることですが、、、、
2. 「父親になる」決意をした、その翌日の悲劇
クラプトンが本当の父親になろうと決めたのは、
コナー君が亡くなる前日でした。
これほど残酷な運命があるでしょうか?
でも、この事実は私たちに問いかけます。
「明日」は保証されていない。
だからこそ、「今日」を生ききるのだ!と。
3. 悲しみは人を苦しみ続けることもあれば、人生を味わい尽くすこともある
クラプトンにとって、音楽は救いでした。
「私はほとんど無意識のうちに、音楽を自分自身の癒しの道具として使いました。そして見事に、それは効果がありました」
でも、ローリーにとっては、音楽は痛みでした。彼女は息子の歌を聴くことができませんでした。
どちらが正しいとか、ありませんよね。
悲しみとの向き合い方に、絶対的な正解はありません。
ただ、二人とも、、、そしてこの曲に触れた人の多くは
悲しみを乗り越えて、、、生かすことができることを
証明してくれています!
4. 表現することで、悲しみは分かち合える
「Tears in Heaven」は、一人の父親の個人的な悲しみでした。
でも、それを表現し、世界と共有することで、
無数の悲しみを抱える人々の心の支えになりました。
あなたの悲しみを、誰かに話すこと。
書くこと。
表現すること。
それは、あなただけでなく、同じ痛みを抱える誰かも救うかもしれません。
最後に——「天国で会えるだろうか?」という問いかけ
この曲の最も美しく、最も悲しいところは、
それが「答え」ではなく「問いかけ」であるということです。
Would you know my name, if I saw you in heaven?
天国で会えたら、君は僕の名前を覚えているだろうか?
Would it be the same, if I saw you in heaven?
天国で会えたら、僕たちの関係は今と同じだろうか?
クラプトンは断言しません。
「会える」とも「会えない」とも・・・
ただ、問いかけるのです。
そして、その問いかけの中に、父親の永遠の愛があるのです。
コナー君は4歳半でした。
たった4年半の人生。
でも、その短い命は、世界中の何百万もの人々の心に、永遠に生き続けています。
エリック・クラプトンにとって、ローリーにとって、コナー君は今も生きています。
音楽の中で。記憶の中で。
そして、いつか会えるかもしれない「天国」という希望の中で。
別れは終わりではありません。
それは、新しい形の愛の始まりなのかも知れません。
個人的には『神との対話・神へ帰る』第36章 を読んでいただきたいです。
永遠の再会が待っていると僕は信じています。
もし今、あなたが誰かとの別れの痛みを抱えているなら、どうか知ってください。
あなたの悲しみは、あなたがどれだけ深く愛したかの証です。
そして、その愛は、決して消えることはないのです。
と信じて生きています(望月俊孝)
では、お聞きください。ご覧ください。
www.youtube.com
2004年、エリック・クラプトンはコンサートの曲のリストから、、、
「ティアーズ・イン・ヘブン」と
「マイ・ファーザーズ・アイズ」の2曲をリストから外しました。
この曲は、1998年アルバム「Pilgrim」に収録された曲です。
エリック・クラプトンは、
実父を知らないまま育ったため、会ったことのない父への想いは大きいものだった言われています。そのため、この曲は、この
「亡くなった息子の父としての自分」と
「実父を知らない自分」
という2つの視点を含んだ複雑な歌詞の内容となっています。