【歴史から何を学ぶか? 何を伝えるか?】

【歴史から何を学ぶか? 何を伝えるか?】
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あなたが小学校から、高校で先生から学んだことで
印象に残っている話はどんな話ですか?

理科の実験とか、体育の授業、工作とか、、、、
体験したことは印象によく残っていることでしょうね。

ではお話で印象に残っていることってどんなことですか?

僕は高校3年生の時、当時・駿台予備校の名物講師だった

日本史の佐々木望先生の講義で忘れられない話があります。
(ステキな女優さんと同じ名前ですが、男性の当時50代?くらいのステキな先生でした)



盟神探湯(くがたち)」

という裁判の方法です。
(写真)



これは被疑者に、

まずは神に潔白などを誓わせた後、

釜で沸かした熱湯の中に手を入れさせ、

正しい者は火傷せず、罪のある者は大火傷を負うとされる方法です。



それについて、佐々木先生は・・・

『現代ではたんなる迷信で非科学的な方法のように思われる。
 しかし、これがある一定期間、機能した陰には何かしらの意味がある。
 たとえば、私が推測するには、
 当時の人がこの裁判の方法が機能すると信じていたのなら、
 「天地神明に誓って自分に非がない」
と信じてる人は、堂々とこの盟神探湯に向かっただろう。
 
 そして盟神探湯をする前にお浄めの塩を手に塗るのだけど、入念に落ち着いて塗っただろう。さらに進んで火に手を入れようとするだろう。
 
 そして「自分には非がある」と知っている人は、おどおどしていただろう。挙動不審な行為をしただろう。そして塩を手に塗る時にはうわの空でしっかりと塩を塗ることができなかっただろう。いよいよ火に手を入れる時に裁判官が威厳を持って聞いたことだろう。
 「本当にお前には非がないのか?」と・・・
すると恐怖のあまり、罪を自白する人もいただろう。
 
 もしお互い自白しなかったとしても。盟神探湯が信じられていた時代にはその一連の態度を見ていたら、犯人か、どうか、それなりの高い確率ではかられたに違いない』
 
このようにおっしゃっていました。

『歴史ってのは今に残る平板な事実-年号や名称・人物名など-を覚えたり、学んでいるように見えるけれど、その後ろにある真実や生きた人間を想像することによって生きた学問になる。
それが君たちの心に残り、永遠に受け継がれたり、語り継がれていくことになる。
それが歴史を学ぶ大切なことなんだ』
などと言われたのを覚えています。

田辺一鶴(古くてごめんなさい)のような全身を使ってまるで講談家のような雰囲気で熱く語られていたのを思い出します。

盟神探湯(くがたち)

佐々木望先生の駿台予備校の副読本